2012-05-30

怒、のほこさき




時代をこえて
過去から、わたしのきもちをずーと見透かしたように
詩を書いてらっしゃる人がいる


茨木 のり子さん、だ。


中学生のときに 国語の教科書で 「わたしが一番きれいだったとき」を読んで知り

高校生のときに「落ちこぼれ」でその世界観にどっぷりとハマった
ハマった、というよりも、
今まさに 自分の気持ちを読んでいるような、そんな変な感覚をあじわった気がする

その後も、意識をしていなくても
あ、いいな
、と思うコトバたち、自分のなかにスッ、と入り込んでくるコトバたち、
は、だいたい茨木さんから発せられたもので

今でも、響いたコトバはすぐに手帳にメモするように心がけているんだけど
今年の手帳にはもうすでに茨木さんのコトバでいっぱい

もういいかげん、
本を買いなさいってことでしょうかね?(笑)


311後のあの10日間、
連絡のつかない家族や友人を想って泣き暮れて過ごしたあの日々が
今でもフラッシュバックして、気持ちが津波のようにぶりかえしてきて、
急に胸がぎゅー、っと締めつけられて、
涙がボロっとでてきてしまうときがときどきあるんだな
 
 
たぶんこれからもずっと続いていくだろうし、
そんな自分ともうまく付き合っていかないとなぁー、とも思っていたんだけど

でも、その気持ちの大波が、過去最大級の大波が、
ここ半月つづいてしまったもので、苦しくて苦しくて、
自分でも自分をうまくコントロールできなくなってしまったのである

どうすっぺなぁ、こまったもんだなぁ

そんなこころが落ち着かない日は、麻糸を紡いで、できるだけなんにも考えないよう
無心で紡いで、想いをつむいで、
無理やり居場所を見失ったこころを ここだよーって導いてあげる

でも、かなしみで紡がれた糸のほうはたまったもんじゃないよねぇ
あとで たのしいことも混紡してあげっからねー
なんて思いながら、
今日もかなしみを紡いでしまっている。



そんなわたしを見透かしたような 茨木さんの詩
 
 
 

「怒るとき 許すとき」

女がひとり
  頬杖をついて
  慣れない煙草をぷかぷかふかし
  油断すればぽたぽた垂れる涙を
  水道栓のように きっちり締め
  男を許すべきか 怒るべきかについて
  思いをめぐらせている
  
庭のばらも焼林檎も整理箪笥も灰皿も
  今朝はみんなばらばらで糸のきれた頸飾りのようだ
噴火して 裁いたあとというものは
  山姥のようにそくそくと寂しいので
  今度もまたたぶん許してしまうことになるだろう
  じぶんの傷あとにはまやかしの薬を
  ふんだんに塗って
  これは断じて経済の問題なんかじゃない
女たちは長く長く許してきた
  あまりに長く許してきたので
  どこの国の女たちも鉛の兵隊しか
  生めなくなったのではないか?
  このあたりでひとつ
  男の鼻っぱしらをボイーンと殴り
  アマゾンの焚火でも囲むべきではないか?
  
女のひとのやさしさは
  長く世界の潤滑油であったけれど
  それがなにを生んできたというのだろう
女がひとり
  頬杖をついて
  慣れない煙草をぷかぷかふかし
  ちっぽけな自分の巣と
  蜂の巣をつついたような世界の間を
  行ったり来たりしながら
  怒るときと許すときのタイミングが
  うまく計れないことについて
  まったく途方にくれていた
  
それを教えてくれるのは
  物わかりのいい伯母様でも
  深遠な本でも
  黴の生えた歴史でもない
  
たったひとつわかっているのは
  自分でそれを発見しなければならない
  ということだった



(詩集「見えない配達夫」より)





女+又÷心=怒?
奴の心=怒?





うーん、

わたしは 自分に対して怒っているのかもしれない




l∞ve



♪ aota 「Blue in Green」

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