2014-04-07

すまい探偵帖@石巻 vol.5

                                 


                         








すまい探偵帖@石巻005
「第一の謎・正方形・その四」
 

◆正方形の家の主・捨松さんは謎の人。少しでも、手がかりが欲しい。では、奥様のきすよさんはどんな人?ひ孫の清さんのお話では、90歳まで長生きされたそうだ。さすが正方形の神棚のご利益か? 
◆きすよさんは早く夫を失ったせいか真面目で厳しい方だった。でも、捨松さんの話はしてくれなかった。では息子の清也さんは?一口で言えば呑兵衛で豪快。どのくらい呑んだかといえば盆暮れの請求書の巻紙の長さが三間半(4.5m)あったそうだ。一円硬貨を田んぼに埋めて田植えの速さを競ったり、泥酔してリヤカーで帰宅したり様々な武勇伝がある。
◆だが、捨松さんもそうだったとは言い切れない。逆に四角四面の人とも思えない。私には捨松さん独自の「正方形の哲学」があったように思えるのだ。そう、あの伊達藩の奉行・芝田民部のように。
◆幕末、攘夷か開国か騒然としていた時代、芝田民部は、「三角形の茶室」を作った。慶長使節船ミュージアム濱田直嗣館長の御尊父・濱田隼雄氏の小説「民部断食」の一節を引く。
◆「青年時代の悪戯気がよみがえったように屋根も三角、畳も三角の茶室を造ったのは、客の好奇をよろこばせるためでもあったが、丸く納めることの困難な時勢の中で、他人目には角立てることばかりのおのれの任務への自らの風刺が秘められている。」
◆三角形の茶室は、困難な時代に藩政を任され、どうあがいても丸く納められない民部の屈折した思いを雄弁に語っている。ここで建築は自分自身の表現なのだ。
◆捨松さんの正方形は、どんな気持ちを込めたのか?明治元年生まれ、新時代の申し子として正しく生きようと思ったのか?闇の幕末の三角形に対して文明開化の希望の光を正方形に込めたのか?それとも自分の命が燃え尽きるのを察知して健康への願いを込めたのか?
◆つい最近、実は、大きなヒントがあることを知った。捨松さんの書いたこの家の「作事帳」があった。分厚い作事帳には、部材の調達費用や職人の賃金や建築に協力してくれた方々の細かな記録がある。だが波をかぶったため、現在、宮城歴史資料保全ネットワークで冷凍保存中、あと何年かは見ることができない。
◆事務局の佐藤大介さんは、尾崎地区の「結」とも言える人々の結び付きが読み取れると言う。神山家は、単なる個人住宅を超え、近隣住民の結束の表現だった可能性もある。
◆やはり神山家はタダ者ではない。いったいどんな設計施工だったのか?次回は気仙大工から謎を追いかけてみよう。
 

(MEMO)
◆世の中は広い。正三角形の家がある。私が知る限りでは、かつて日本に三軒あった。伊勢と新潟そして仙台。ただし、数寄屋建築、茶室である。江戸時代、伊勢の儒学者・奥田三角の三角亭、新潟の三楽亭、そして柴田民部の三角茶室。
◆謎は、あくまでこの資料を待たねばならない。だが、いくらヘボなすまい探偵の私でも、正方形の家そのものから答えを見つけていこう。

 (文・一級建築士  那須武秀)
 
 
 
 
 
 
今回は、
陸前高田の現気仙大工・菅野照夫さんをモデルにさせていただきました

言葉ひとつひとつから ビシバシ職人魂を感じる
このインタビューもぜひ見てほしいです

かっちょいー!

http://kino-ie.net/interview_242.html
 
 
 
 
東北の古民家
(NHK 美の壺より)
http://www.nhk.or.jp/tsubo/program/file223.html
 
 
 
 
i kin ye!!
 
 
 
 
♪ 宮城愛
 
 

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