2014-04-27

すまい探偵帖@石巻 vol.8

 
 
 
 
 
 
 
 
すまい探偵帖@石巻008
「第三の謎・八角天井」下
 

◆書院造りと数寄屋の合体で優雅な鶴の間、ユーモラスな亀がいる遊びの亀の間。この対比が愉快だ。しかし、亀の甲羅は六角形のはず。なぜ八角天井にしたのか?
◆その理由は図を書いてみれば分かるはずだ。六角形を八畳間の天井に割り付けるとなんとも不格好。六角形の頂点を全て結んで四角で囲むと長方形になってしまうのだ。数学的には、2対ルート3の比の長方形になる。無理矢理正方形で囲むと変な隙間ができる。捨松さんも棟梁も納得がいかなかっただろう。
◆それに対して八角形は、正方形にきれいに入る。正方形には八角形がなじむのだ。八角形の頂点を結ぶ正方形の取り方は2種類あるが、どちらも四隅がきれいに納まる。
◆六から八へ七を飛ばす。七がないのは、質屋にはお世話にならないという謎かけか?それに亀の間で六をそろえすぎるのも無粋だという考えもあったかもしれない。
◆明治21年完成の旧登米尋常小学校。その昇降口の平面は六角形の半分だ。天井はなく、洋式梁が六角形に掛けられている。この建設にも気仙大工が参加した。設計監督は、元大工の山脇喜三郎。洋風建築には手間がかかり、更に監督が厳しく瓦屋が4軒つぶれた。その恨みか、山脇監督が屋根に登っているうちに降りられないようにはしごを外したという逸話も残っている。
◆神山家は明治40年の建設だから捨松さんも棟梁もこの六角形は知っていたはず。まさか、「六でもない」と避けた訳ではないだろう。昭和2年の完成だが、気仙大工の名工・花輪喜久蔵設計の定義如来旧本堂も六角堂。六角形は決して嫌われているわけではない。六は末広がりの八につぐ吉数なのだ。
◆むしろ、旧登米小学校などの洋風建築に学び、鶴の間の和室に対して亀の間を洋間にしたかったのではないか?
◆明治半ばから古い封建的な「家」に対して西洋近代的な「家庭」を重視する考えが浸透してきた。その建築的な回答として明治30年頃には和洋折衷住宅が提案され、玄関近くに洋間の応接間を付けた住宅が増えてくる。亀の間はその流れの現れではないか?畳に絨毯を敷き、シャンデリアを吊し、洋風家具を置けば洋間の応接間にも変身できる。
◆神山家には30人分の食器がある。祝儀、不祝儀、その他様々な人々が集まるときは鶴・亀2室と神棚のある「おかみ」の3室続きで使った。だが、亀の間は縁側から直接入れる。八角天井は洋風の応接間としても使えるように特に趣向を凝らしたのではないだろうか? 


(文・一級建築士 那須武秀さん)
 
 
 
 


カゴ・メー カゴ・メー

カグ・ノナカノトリー

イツィ・イツィ・ディ・ユゥー

ヤー・アカ・バユティー

ツル・カメ・スーベシダー

ウシラツ・ショーメン・ダラー
 
 
 
 




i kin ye!!
 

 
♪ ラスタンケ
 


0 件のコメント:

コメントを投稿